《ついに新会社設立》辞めジャニと交流、インスタライブ…“SNS無双”滝沢秀明(40)が舞台裏で見せた素顔「入所年次が上のジュニアとの確執」「家族のために都内豪邸を建築」 | ニコニコニュース


滝沢 秀明(たきざわ ひであき、1982年3月29日 - )は、日本の音楽プロデューサー、演出家、実業家。元タレント・歌手・俳優。ジャニーズ事務所旧所属の元タレントであり、タッキー&翼のメンバーとして活動していた。その後は事務所副社長・ジャニーズアイランド社長を務めていた。愛称はタッキー。…
102キロバイト (12,731 語) - 2023年3月21日 (火) 13:14



 3月21日滝沢秀明氏(40)が「報告」と題し、Twitter生配信を行った。内容はアーティストプロデュースする新会社「TOBE」の設立だ。今後、新人の募集もはじめるという。

 滝沢氏は昨年11月1日ジャニーズ事務所副社長からの退任を発表し、TwitterInstagramを立ち上げ、ジャニーズ時代とは違った活動を始めていた。SNSでは赤西仁ら辞めジャニとの交流も盛んで、ジャニーズ事務所で”若頭”を務めた求心力を発揮していた。

 滝沢氏は変わりゆく芸能界の台風の目になりうるのか。彼のジャニーズ時代の”伝説”に迫った記事を再公開する(初出:2023年1月30日、年齢・肩書きは公開時のまま)。

「こんばんは~。星見える? 声、聞こえてる?」「キャンプに来てるよ!」

 1月26日の夜、突如として始まったInstagramライブ配信でキャンプ場から元気な声を届けたのは滝沢秀明(40)。その日は、なぜか屋外で自らの髪を染める“セルフカラーリング”の様子もストーリーズアップしていた。

 タッキーこと滝沢秀明ジャニーズを去って3カ月が経った。

10月末日にジャニーズからの退所と、ジャニーズ事務所副社長及びジャニーズアイランド社長退任を発表し、いったい今後どうするのかと思われていました。11月にはTwitterInstagramに肩書『冒険家』としてアカウントを開設、1月にはTikTokスタートしてジャニーズ時代とは一変した自由な発信を続けています。先日のインスタライブは10分足らずでしたが、10万人以上の人が観ていました。

 あの赤西仁山下智久などの“辞めジャニ”とのSNS上のやりとりも活発で、長年のファンは大喜びです」(芸能デスク

貧しい幼少期「家族の生活をラクにしたい」

 1995年、13歳でジャニーズ事務所に応募し数週間後にはKinki Kidsバック踊っていた滝沢。だがジャニーズの一員となるまでには紆余曲折もあった。

「幼い頃に父が家を出て、シングルマザーとなった母が3人の子を育てていたそうで、裕福とはかけ離れた環境で育った。冬でも半ズボンTシャツの薄着で過ごしたり、文房具同級生から借りたり、子供たちで作る夕食は小麦粉を水で溶いたものを焼いて食べたりという日々だった。

 そんななかどうにか家族の生活をラクにしたいと思いついたのは大好きだったプロレス団体に入って活躍すること。でも体格が小さくて断られてしまったといいます」(同前)

 それならば、といくつかの芸能事務所履歴書を送ったところ最初に電話をかけてきたのが、ジャニー喜多川氏本人だった。

「ダンゴ鼻が愛くるしい13歳」に見た“スター性”

「どこかチャラチャラとしていたり、アイドルにただ漠然と憧れている少年たちとは違い、『家族を食べさせたい』と強く願う滝沢少年に、ジャニー氏は心を掴まれたんです。当時はまだダンゴ鼻が愛くるしい13歳でしたが、少年から青年へと凛々しく成長したのはジャニーさんという第二の父に出会えたから」(同前)

 滝沢の入所で大きく変わったことがある。「ジャニーズJr.」の人気確立だ。ただの「デビュー組のバックダンサーたち」に留まらず、多くのファンがつきジュニアだけでのステージテレビ番組が大人気となったのだ。

 その立役者は滝沢だと、多くの関係者は口を揃える。

「苦労人だったというのが大きいかもしれませんが、彼は天性のタレントであるのに、常に努力を続ける人なんです。番組の企画を相談したときに、瞬時に『こういうのどうでしょう』って出てくるのに、さらに翌日『昨日の夜また考えてたら、こういうのも思いつきました』なんてわざわざ連絡をくれる。芸能人でそんな人ほかにいませんよ」(テレビ局プロデューサー

 ジュニアリーダー的役割で、小学生からハタチを超えた面々を取りまとめた。年上で入所年次が上のジュニアとの確執もあったという。

 しかし「タッキー&翼」やソロアイドルとして活躍をしながらも、後輩の面倒見がいい滝沢をしっかりと見つめ続けていたのが、亡くなったジャニー氏だった。2018年9月。タッキー&翼の活動を終了し、同年末をもって芸能活動から退き後進の指導に専念すると発表したときのジャニー氏のコメントにはこうあった。

【今般、滝沢秀明タレントとしての経験と知識を生かし、『ジャニーズJr.たちの育成で、ジャニーさんを手伝いたい。』と言ってくれた時、私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています。

 私の頼もしい後継者達が今後も切磋琢磨して皆様が求めるエンターテイメントをお届けする為に頑張ってくれることに期待しています】

 第二の父の「後継者」となった瞬間――。

 それ以前にも、以降にも滝沢は常に「恩返し」という言葉をよく口にしていた。

「『ここまで育ててもらった恩返しをするのは当然』だとか、『まだまだジャニーさんに与えてもらった多くのうちのひとつも返せていない』、そんな言い方です。滝沢さん本人は、特に“出役”に未練はなくなっていたようで、恩返しになるのであれば裏方で構わないようでした」(前出・テレビ局プロデューサー

 だが2019年7月、第二の父であるジャニー氏が亡くなった。

「あのときも滝沢さんは淡々と受け止めていました。病に倒れてから亡くなるまでの時間を、『心の準備をする時間をジャニーさんからもらえた』と言っていました」(同前)

 ジャニー氏の関係者が集まった家族葬の会場。終了後に霊柩車の助手席で、遺影を持って座っていたのはほかでもない滝沢だったという。故人の意志そして遺志を継いだ後継者として、役割をしっかりと果たしていたのだ。

家族に贈った都内豪邸「現在は宗教の集会所に…」

 家族の暮らしをラクにしたいという強い想いでアイドル帝国ジャニーズ事務所に飛び込んだ少年は、大成してスターとなった。そしていまから約17年前、都内の高級住宅街に5階建ての一見マンションのような立派な建物が竣工した。土地・建物の大半部分の持ち主は滝沢秀明、ほんの一部分を母方の親族らが共有している。

「まだ20代前半のタッキーが、2億円近いローンを組んで“実家”にプレゼントしたものです。いまは姉家族や親族が住んでいるようです。10年以上前に設立した滝沢の個人事務所も所在はここになっていますが、日頃の本人の生活は別の高級マンションが基本。それでもしょっちゅう車を飛ばして実家に顔を出していますよ」(前出・芸能デスク

 特に週末は、この建物には多くの人が集まるのだという。

「家族が使っていない数フロアを、以前は一般マンションとして貸し出していた時期もあったんです。でもここ数年は、滝沢さんや家族が信仰する宗教の集会に使われているようです。夕方になると人の出入りがたくさんあると近所の住民のあいだでも噂になっていました。

 代々熱心な信仰心があり、滝沢さん本人も大規模な幹部会に出席していたことがあるくらいですから――」(同前)

 育ての親・ジャニー氏とジャニーズ事務所への恩返しを終えたいま、さらに支えとなった信仰への恩返し中なのかもしれない。「冒険家」滝沢秀明の今後の動向も、注目が欠かせない。

(山本 雲丹/Webオリジナル(特集班))

“冒険家”滝沢秀明(本人のInstagramより)


(出典 news.nicovideo.jp)